本ブログの更新は停止しています。更新は新しいサイトの Travellers Tales で行なっています。
火 - 7月 11, 2006更新頻度が低い理由夜遅くまで起きてれば更新できるのですが、最近、早めに
(といってもこれくらいの時間ではありますが)
寝るようにと思っているので、ネタはあっても更新がなかなかできません。
早く寝ようと思ったのは、健康のため。
上の2つでは、明らかに後者の場合に、肌が荒れたり、口内炎ができたりするのです。(ちなみにビタミン剤は、これでアトピーが治った人もいるというアメリカの超ゴツいマルチビタミン Elan Vital を摂ったりしてます。) で、今、指の腱を傷めているのですが、なかなかよくならないので、ちゃんと寝ようと思った次第です。 Posted at 12:56 AM Permalink 火 - 7月 4, 2006あいのり - どうでもいいんだけどちなみに前回のあいのりでは、MIEが帰国してから3ヶ月経っていたとナレーションが入っていたけど、オーストリア、スイスの2カ国だけで3ヶ月経ってるわけないと思ったりもする。どうでもいいんですが。
スーザンが告白した万博公園、背景の木々が思いっきり秋っぽかったです。半年以上前の撮影かな。普通に見てても季節がずれているのはわかりますが、日本だとよりわかりやすいですね。 当ブログ内参照記事: フジテレビ「あいのり」はやらせか Posted at 01:45 AM Permalink 火 - 6月 27, 2006新幹線で街は栄えないはてなブックマークでおもしろい記事を見かけました。
- Brain News Network - 「新幹線で街は栄えない」 全駅を乗り降りした自称オタクの銀行マンが講演 「私は誰よりも新幹線推進派。ただし、新幹線が通ると街が衰退するケースが極めて多いのが現実」と語る自腹で全国の新幹線駅をまわっている藻谷氏の指摘は、第三者としてはなるほどなぁと大変興味深い内容ですが、これを聞いている地元のことを考えると笑えないですねぇ。 指摘はいちいちさもありなん、という感じです。
「新幹線は人口を流出させる効果が非常に大きい」と発言。「終着駅効果があるとか、新幹線で街が栄えるという主張には何の根拠もない」 「新幹線が通ると観光客が減るのが全国的な傾向」 「新大阪駅の駅前を5分歩いてください。スーパーもデパートも駅ビルも何もありません。これを見たら、自分の街にそれらができるわけがないとわかります」 これらの指摘を、北海道新幹線で新函館駅が出来る予定になっている北斗市の「北斗市誕生記念シンポジウム」で語られて、幻想を打ち砕かれる地元の人たちは、喜劇通り越して悲劇の様相を帯びています。田中角栄がやったみたいな開発は、冷静に結果を見れば地元にメリットをもたらすかどうか怪しいのに、それでもそれにすがってしまう地方の現実が悲しいですね。 しかし、 「新幹線駅は空港と同じ。駅前に必要なのは空港にあるもの」 という藻谷氏の結論には納得してしまいます。 Posted at 01:32 AM Permalink 月 - 6月 26, 2006今頃サイババ告発本を読んだ今頃になってサイババ告発本を読みました。久々の書き込みで、コンピュータとは何の関係もないネタで恐縮ですが。
日本のテレビ番組等で見たことがあるだけの人は、サイババってなんかうさん臭いインドの聖人だよね、くらいの印象しかもっていないかもしれませんが、実際のところは、サイババ信者という人たちが世界中にはたくさんいて、日本からわざわざ行く人もいるし、現地には寄付で建てられた (外見は) 立派な病院や学校もあり、インドではそのへんの売店でステッカーが売られている程、著名な聖人でもあります。 実はいまのサイババ (サティヤ・サイババ) は2代目 (と本人が自称している) です。初代のサイババ (シルディ・サイババ) は既に亡くなっているのですが、生前に8年後の転生を予言したと言われています。シルディ・サイババの信奉者たちは、サティヤ・サイババが生まれ変わりとは認めてないと言う話もありますが、そのあたりのことはよく知りません (興味もない)。ちなみに初代サイババもインドのあちこちでステッカーを見かけます (というか、初代の方が多いかな)。 そのサイババの告発本とは、「裸のサイババ」という本です。
『ぼくたちの外側に「神」をみる時代は終わった』というサブタイトルがすべてを物語っていると思うのですが、時代に関わらず「神」とは外側に見るものではないと私は思います。 ただ、今頃そんなことに気付いたの?というのは簡単ですが、そういうことを言う人は、理屈として頭で思っているのと、実際に体験として実感するのは雲泥の差であるとは思っていないのかもなと思います。仏陀は6年にも渡る苦行の末に苦行は無駄であると気が付いたわけですが、それは苦行を実際に行なったから無駄だとわかったとは言えないでしょうか。 この本は、サイババによる児童を含む信者への性的虐待の実態と、物質化と呼ばれる奇跡がチープなトリックであったことを主に告発しています。そもそもサイババのことを信じてない人、何とも思っていない人にとってはそれほど衝撃的に感じないかもしれないと思いますが、信じている人間には受け入れがたく感じる内容でしょう。 Amazon のレビューを見ると、ほとんどがインタビューばかりで構成されるこの本の内容は信憑性が疑わしいと批判しているものがいくつかあります。確かにサイババ病院の実態など、検証を加えられる余地があると感じますが、UNESCO にまで性的虐待を非難されている事実があるのに、それをなお否定する根拠はあるんでしょうか。聞いてみたいところです。 この本のインタビューを客観的に読んでいると、サイババのトリックや性的虐待の事実を知った信者によく共通して見られる反応があることに気が付きます。 サイババの事実を目にした人たちは、「この行為には (ババが説明するようなクンダリーニの調節等の) 意味があるに違いない」もしくは「これは霊的なテストに違いない」と考えるようです。後者については、未だにオウム真理教の信者などにも言えると思うのですが、グル (もしくは教祖) から行為の意味することの説明がなかったとしても、「これは師がわざと私をテストしているのだ」「霊的な試練に違いない」と自ら解釈をします。師にしてみればこれほど都合のいいこともないでしょう。何をしようとも弟子が勝手に意味を見つけてよいほうに解釈してくれるのですから。(仮に実際にそれで弟子が成長することがあったとしても、それは師のおかげではないと思います。) この本のインタビューに出てくる人々も最初そのように受け止めますが、そんな観念を吹き飛ばす少年への肛門性交などの事実を突きつけられて、ようやく理性的な人間の通常の判断に至ります。 もう1つ印象深いのが、こうした事実を知り、恐らくそれがおかしなことであると多かれ少なかれ感じながらも、サイババを否定しない人たちの存在です。全米サイババ協会の会長は「私の人生からサイババをとったら何も残りませんからね」と語ったといいます。サイババに出会い、彼こそ現在のイエスの再臨だというように信じ、公私のすべてを捧げてサイババを信奉してきた人たちが世界中にいます。そうした人がある日、今までの自分は間違いだったと言われても、それまでの自己を全否定することを行なうのは容易いことではないのでしょう。 人は怖れによって道を誤ります。今まであった何かを失うへの怖れ、信用を失うことへの怖れ、収入を失うことへの怖れ、死ぬことへの怖れ、様々な恐れ。サイババの行状に感づきながら、なおサイババを離れられない人々は、結局のところ、自分の中の怖れに負けているのではないでしょうか。斯くも人は弱いものなのでしょう。それを認められればよいのでしょうが。 カルトは何を考えているかわからない、カルトだからしかたない、みたいに切って捨てた考え方をする人は、視点によっては自分がカルトにはまっている人と変わらないのかもしれない、などとは夢にも思いもしないのでしょうね。(意味もなく視点を相対化する必要はありませんが) この本はかつてサイババの信奉者であり、実際にサイババを礼賛する本も出している人物が、サイババの事実の姿を見つめ、サイババの暗黒面を告発しているという点では評価しています。しかし、インタビュー中心であるが故に、(早急にこの事実を公表したかったと言う事情はあるのかもしれないですが) 内容に伝聞でしかないと批判されてしかるべきものが多い点と、『ぼくたちの外側に「神」をみる時代は終わった』と書いておきながら、「エンジェル・ボックス」などという「21世紀型のサクセスが身につく」「夢の実現ボックス」というものを発売している点は、どうかなと思います。 この本を読みながら少し、ことのは問題を思い出していました。(αブロガーと目されていた松永英明氏が、オウム真理教の信者であることは判明した事件。) この問題をウォッチしてない人にはなんのことやら、でしょうし、どこから取っ付けばいいのかもわからないと思いますが、今回書いた内容としては、この問題が騒ぎになってから行なわれた滝本弁護士へのインタビューを取りあえず紹介しておきます (なお、このインタビューに先立って、当事者の松永氏へのインタビューが行なわれおり、滝本弁護士へのインタビューはそれを踏まえたものであります)。 Grip Blog: 滝本弁護士へインタビュー # ことのはの件は、追求し出すとほんといろいろあります。上で紹介したインタビュー1つとっても、インタビューを行なっている泉あい氏の立ち位置とか責任問題とかもありますし。 Posted at 02:09 AM Permalink 火 - 4月 4, 2006アサヒビールの例のオブジェは岡本太郎作?桜のきれいな季節です。桜絡みでネットを見ていたところ、隅田川沿いから見えるアサヒビールのあの炎のオブジェ
(例の誤解をよく招く形のやつ)
の作者が岡本太郎だという記述を見かけました。気になって検索したところ、そのような記述が意外に多いのです。
そんなの初耳だぞ〜?と思ったら、やっぱりガセネタでした。 あの建物の正式名称は「スーパードライホール」、炎のオブジェは「フラムドール」というらしいのですが、アサヒビールのウェブサイトにちゃんと記述がありました。
会社概要 | アサヒビール 「スーパードライホール」は、フランスの著名なデザイナー、フィリップ・スタルク氏によるもので、屋上の「炎のオブジェ」は、躍進するアサヒビールの心の象徴です。 ヤマギワ株式会社 - Philippe Starck 1989年、今や浅草のランドマークとなった吾妻橋のアサヒビール本社の「フラムドール」を設計。これが彼の建築設計の第1号 Wikipedia の記述も。 スーパードライホール - Wikipedia Posted at 01:22 AM Permalink 火 - 1月 31, 2006フジテレビ「あいのり」はやらせかこのブログを読んでいるであろう人には恐らく興味ある話題ではないし、何かどうでもいい話っていえばどうでもいい話なんで書こうか迷っていたのですが、一応文章にしておきます。
まぁ、結論から言うとプロレスと同じですよね。プロレスをやらせだって腹を立てるのはお門違いですよね?あいのりは番組でうたっている通りバラエティなんですから、不自然なことがあっても、それはやらせじゃなくて演出なんですね。あれを全て事実だと思って見ている人がいれば、やらせをされた!と憤慨するのかもしれませんが。 バラエティだからやらせじゃない、という点については、以下など参照。
話題のことがらについて!!!!!!!!: あいのりのミス で、先日、見てて気がついたことがありました。 年末にあいのりスペシャルがあって、足掛け3年もあいのりに参加していたヒデが帰国したりしました。上で紹介したブログの別の記事にヒデの滞在は放送期間に比べて不自然に長くて一時帰国があったんじゃない?と指摘されていますが (参照:ヒデ帰国とその期間について)、実際、私の友達の友達は一時帰国じゃないんですが、ケニアでヒデに会ったという話です。ケニアで語学を勉強していたとか。なんでも普通は一時帰国なところを、出演期間が長く顔が売れてしまったこともあり、ケニアでの滞在になったという話 (ヒデのケニア滞在については純真な視聴者の夢を壊してしまうのでここに書いてないことも…)。ま、それはいいんですが、この話を聞いていたので、年明け第1回目のあいのりでの梅ちゃんの帰国に不自然なものを感じたのですよね。 帰国の理由は、あいのり出発直前に、ずっと以前から好きだった人に告白されていて、その人とやっぱり付き合いたいからリタイアしたい、というもの。結構無理がある話だと思うのですが、その前のヒデの帰国から、年明け第1回目のあいのりまでの間に一時帰国があったと考えるとしっくり来ます。梅ちゃんの告白した出来事は、本当は出発前ではなくて、一時帰国の間に起こったんじゃないでしょうか。でも、それをそのまま明らかにすると、ずっと旅を続けているというバラエティの設定を裏切ることになるので、一時帰国中ではなくて、出発前に起こったことにしたのだと思います。 そういえば、あいのりって結構な長寿番組でもう何年もやってるくせに、正月を迎えたことがないですね。本当に海外で正月を迎えていたら、初日の出を見に行ったり、なんか番組的に画になることをしそうなものです。(私は旅先で正月を迎えるときには、アンコール・ワットに初日の出を見に行ったりしましたけどねー。) ま、そんなことを持ち出すまでもなく、カメラの位置とか考えたって演出はいろいろあるだろうことは想像付くのですが、楽しむためのバラエティなんだから、別にいいと思うのですよね。それに演出があるからと言って、すべてがウソな訳では全然ないと思いますし。 あいのりが結構長寿番組なのは、なんだかんだ言って色恋沙汰はおもしろいからだと思うんですよね。昔、ねるとん紅鯨団という番組がありましたが、告白して断られたりしてあれはあれでおもしろいのだと思いますが、ほんの短い時間のことだし、リアルな恋愛からはまだちょっと遠いです。なるべくリアルな恋愛に近いものをテレビ番組で放送しようと考えたときに、ある程度の期間、特定の男女が一緒に過ごす、という形を考えて、あいのりのような形を思いついたんじゃないかと思っています。 あいのり見てて思うのは、人は成長するものだなーということです。最初はへたれで挙動不審だったヒデくんも後半は結構いい感じになってましたしね。そういうのを見るのはおもしろいです。 当ブログあいのり関連記事: ・あいのり募金を考える ・あいのり募金その後 ・あいのり募金だけでなく ・あいのり学校? ・本日のあいのり(あいのりの旅ではポーランドからスウェーデンへの船旅は何ヶ月もかかるらしい) Posted at 02:31 AM Permalink 金 - 1月 27, 2006人生の主人公は今回は「イリュージョン」という本の話から、人生の主人公は誰か、なんて話を書いてみようと思います。
私の好きな本に、リチャード・バックの「イリュージョン」という本があります。(出版社と揉め事でもあるのか、ここ数年は版元品切れのままなのが残念です。)
リチャード・バックは一般的には「カモメのジョナサン」が有名で、私も「カモメのジョナサン」は読んだことがことがあったのですが、ヒッピーに人気だったというその本も、最初読んだときは何も感銘を受けませんでした。覚えてるのは、訳者の五木寛之の後書きが鼻についたことくらいです。(その後読み返し、最初に受けたのとは違う印象を得て、今ではこれも好きです。) しかし「イリュージョン」は一度読んだら虜になってしまいました。翻訳は村上龍が手がけています。村上龍のことは読んだこともないくせにそれまでなんとなく敬遠していたのですが、「イリュージョン」を読んで、村上龍も見直してちゃんと読むようになりました。今では結構好きです。だけど、とりあえず、それらは今回の話には関係ありません。前置きが長くなってしまいました。 「イリュージョン」の中で、リチャードとドンが映画について話す場面があります。そこでドンがリチャードに、自分たちの周りが映画だったとしたら、という質問をします。 「リチャード、この俺達の周りを映画だとすると、シナリオライターは誰だい?」 話はこの後も続いていくのですが、ここに本質の1つがあります。 自分の人生の主人公は自分で、シナリオを書いているのも自分自身なのです。 世の中にはそのことに気付いているのか気付いていないのか、他人にシナリオを書かせたり、主役を乗っ取られたままの人が大勢いる気がします。それもまた、彼や彼女のシナリオなんだろうけど。 サルトルは人間は自由の刑に処せられていると言いました。5分後に突然自殺しようと、いきなり目の前の上司を殴ろうと、すべてを捨てて明日から放浪の旅に出ようと、すべては自由です。いつの瞬間にもそれらは可能です。ただいろいろな理由があってやらないだけなのです。 そんなことをふいに思い出しました。 Posted at 11:11 PM Permalink 水 - 1月 18, 2006手にしてもいないのにレビューを書く人々ふとしたきっかけで、Amazon
で東京事変から出る大人(アダルト)
という CD
のページを見たんですが、発売前だというのに、結構な数のレビューが付いているのです。
Amazon.co.jp:大人(アダルト) (初回限定盤DVD付) しかも、みんな5つ星。 アルバムを聴いたこともないのに、5つ星まで付けて、レビューを書き込む神経がわかりません。 中には視聴をしたという人も非常に稀ながらいるのですが
(現時点で1人で、それでも一部しか視聴していないし)、すべてのレビューを見回しても、ろくな情報がありません。レビューがゴミになっています。「このレビューが参考になった」と投票する人が少ないことが、これらのレビューの価値がないということを示しているように思います。
ファンなのはいいけど、これじゃ spam です。 Posted at 11:32 PM Permalink 火 - 1月 17, 2006月 - 1月 16, 2006週刊少年ジャンプに連載漫画が存在しない理由愛・蔵太の気ままな日記
- 週刊少年ジャンプには「連載マンガ」は存在しないを読んで、へーと思っていたのですが、はてなブックマークで知った他のサイトに、その理由を見つけました。(愛・蔵太の気ままな日記のコメント欄にも指摘がありますが)
秘密はジャンプ創刊時にありました。
ジャンプ論第2章 第三に、すべての掲載マンガを読切形式にしたことである。これも連載を任せられるマンガ家のめぼしがたたないための、背水の陣であった。これならばいつ巨匠作家が連載をOKしてくれても、掲載ページがないという現象が起こらなく、円滑に作品の入れ替えが可能になる。徐々に読切を減らし、連載マンガを増やしていく作戦であった。また、新人を育てる上でも好都合であり、もしかしたら新人のヒットも期待できるわけである。 そんな理由があったのですか。なるほどー。 このジャンプ論、10年前の卒論をウェブに載せたものだそうですが、一部内容が古いものの、それでも十分おもしろく読ませる内容です。お暇なときにご一読を。 オレ流少年ジャンプ論 - ジャンプ論目次 Posted at 11:41 PM Permalink |
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親サイトの Travellers Inn は旅に関するサイトですが、ここ Travellers Tale では、旅にこだわらず興味のおもむいたことについて書いています。ちなみに Travellers Tale という言葉は、旅行記ではなく、旅人の見てきたようなほら話のことを意味しています。
筆者ハンドル:Hiro (ハンドルネームという言い方は正確には間違いですよ!慣用化しているので、こだわる必要はないかもしれませんが。) Trackback powered by
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