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ライブドア堀江社長のメディア運営方針


オウム問題の取材で有名な江川紹子氏が、自サイトのコラムでインタビューとともにライブドア堀江社長のことを取り上げています。これを読んで感じたのは、江川紹子氏は堀江氏に一定の理解を示しつつも、実は半ば苦々しく思っているのではないかということですが、わたし自身は堀江氏の言っていることは結構ちゃんとしてるな、と思いました。

江川紹子ジャーナル 〜 「新聞・テレビを殺します」 〜ライブドアのメディア戦略

記事の中で江川氏は堀江氏がウソをつかない人のようだと指摘しています。この「ウソをつかない」ということは簡単なようでとても難しいことだから、これが本当なら、その一点だけでも堀江氏を認める価値はあると思います。

インタビューの間、何度か放送メディアを持つことについて尋ねたのが、彼は、「言えません」を繰り返した。プロ野球問題の時にも、不利益な話でも、変にごまかしたり、ウソをついたりはしなかった。どうせバレることにウソをついてもしょうがない、という彼の発想は、危機管理という点でも実に理に適っている。が、これを実行するのは案外難しい。

インタビューの中でライブドアが新聞を持つことについて聞かれ、堀江氏は編集方針なんてないと語り、江川氏の以下のような問いかけに対し、そういうのはおっせっかいだと答えています。
——出すからには、こういうモノを出していきたいというのはないのか。
 そういうのは、おせっかいですよ。読者は別にそんなもの求めていない。そんなもの押しつけたくもないし。

このような堀江氏の考え方に、江川氏は意識的にも無意識的にも納得できないものをいたいているようです。
 ただ、堀江氏が"ゴミ記事"と呼ぶような、人々があまり関心を示さない記事の中に、実は重要な情報も含まれていることはある。

(中略)

 メディアがあえて報じていくことで、曲がりなりにも(現実にそれが十分にできているかは疑問だが)政治を監視する機会は保たれる。
 それがなければ、一般の人たちがなんだか分からないうちに、大事なことが次々に決められていく、ということになりはしないか。
 あるいは、イラク、アフガニスタン、アフリカ諸国といった外国の情報は、普段は気にもとめずに生活しているけれど、そういうことは知らなくてもいい、のだろうか。
 普段、気がつかなかった事柄を、新聞で読んで知るという機会もなくなる。それで、生活するには困らないかもしれないが、人間性や心を豊かにする機会を減らしてしまうことになりはしないか。

ジャーナリストがメディアで訴えかけていくことで世の中を変えていきたい、という気持ちを、堀江氏があっさり否定しているのだから、既存のジャーナリズムの枠組みの中で活動してきた江川氏には、それを肯定できないものがあるのでしょう。

江川氏はそういうやり方ではイラクやいろいろな問題がないがしろにされてしまうと思っているようですが、堀江氏の意図することは必ずしもそのような結果になるものではないと思います。しかし「古い」ジャーナリストである江川氏はそれを認められないのではないでしょうか。

堀江氏は、ニュースの重みづけはユーザが判断するもので、ランキングによって紙面に挙げていくと言っています。そのこと自体は、江川氏が心配するようなイラクやいろいろな問題を排除するものでは全くありません。記事が紙面に載らないとしたら、それは記事が「つまらないから」ということになります。

翻って、江川氏が世間の関心は低いのだけど大事だから取り上げなくてはいけない、と考えているような問題が、なぜか世間の関心が低いままだとしたら、それが「つまらないから」ではないでしょうか。

イラクの問題にしろ、大手のマスコミはろくな記事を書いていないし、フリーランスのジャーナリストが命を張って取材し興味深い記事を書いても、それを発表する場もありません。

その他の記事にしても、「知られていない事実を伝えていきたい」という思い自体には別に問題ないと思いますが、「私が大事だと思うから、あなたも大事だと思ってくれ」というのはおこがましいと言えます。堀江氏が「おせっかい」と言っていたのもそういう意味だと思います。それが本当に大事で広く知られるべきものだったら、読まれる努力をすべきでしょう。

学問についての話なのでちょっとずれるかもしれませんが、スタンダード 反社会学講座で有名なパオロ・マッツァリーノ氏が「御意見無用4 つまらない学問は罪である」で以下のようなことを述べています。
たとえ役に立たなくても、おもしろいことを市井の人々にアピールできれば、存在価値は生まれます。おもしろくなくて、だれがあなたがたの主張に耳を傾けようとしますか。エンターテインメントとしての学問を否定し、道化になることも拒否して、真面目の殻にひきこもる学者の意見は、誰のところにも届いていないのです。この際、もういいきってしまいましょう。つまらない学問は罪である、と。

続けて、このようなことも書かれています。
社会を良くしようなどと主張する学者や評論家を軽蔑しています。なぜなら、万人にとって良い社会なんてものは存在しませんから。

これも分野は違いますが、耳を傾けるべき意見ではないでしょうか。

堀江氏は新聞をつくるにあたって、「市民記者」の募集なども行っています。これについて江川氏に聞かれたときに単なるコスト削減策なんですけどね(笑)と言っていますが、悪くないアイデアだと思います。江川氏はジャーナリストとして、そうした「市民記者」の各記事の信頼度が気になっているようですが、堀江氏はそれに対して、じゃあ、大手のマスコミの書くものは信頼できるものなのかと投げかけています。

わたしも職業記者だからちゃんとした記事を書くかというと、とてもそうとは信じていませんし、それならちゃんと裏を取った市民記者の署名入り記事の方がよっぽど信頼できると思います。堀江氏はこう語っています。
——じゃあ、ライブドアの報道は、どういう主観が入るんですか?
 それぞれじゃないですか。だって市民記者が書くんだから。
——でも、デスクがチェックをするでしょう?
 チェックするといってもそれはウソを書いてないかとか、そういうレベルのチェックですから。ウソを書かないというのが重要で、確かめたのかとか、裏を取ったのか、とか。あとは、?てにおは?を直すとか。そういうレベルの話ですから。
——事実が確認されれば、あとはどんな話も載せる、と?
 紙面が許す限りですけどね。あとは人気ランキングだけですよ。

朝日にしろ、読売にしろ、内容が結構片寄っていたり、歪曲されていることがあるのは、知っている人は知っていることでしょう。それを考えれば、堀江氏の考え方の方が、(うまくいくとは限りませんが) 共感できるものがあります。

市民メディア・インターネット新聞JANJANなんて例もあるし、市民記者は結構いいアイデアだと思いますけどねぇ。

Posted: 金 - 2月 18, 2005 at 02:23 AM               Hatena Bookmark



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