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この国の首相に首相適格はあるか


小泉は問題なくはないけど郵政民営化は必要だしな、とすっかり小泉首相のパフォーマンスに乗せられている人が多い気がします。いや、おれはパフォーマンスは承知の上で、取りあえず小泉を支持するんだよ、と思ってるのではないかと思うのですが、私にはどうしてもあの人に首相適格があるとは思えません。

郵政民営化は角福戦争のときの私怨を引きずっているだけという話も聞くし、あそこで解散したのも郵政を除けば彼には何も残っていないからなのだけではないかと思いますが。(反対派に刺客を用意していたのは準備がいいですが、他の誰かの知恵でしょうね。)

先見日記に連載していた片岡義男の発言から、小泉首相を振り返ってみましょう。


先見日記:多大な貢献と国連の新時代
演壇に立った首相は、英文の原稿を指先で追いながら、棒読みに終始した。こういう場面での経験が悲劇的に不足している。声だけは張らなくてはと、強い発声をすればするほど、英語の抑揚から遠ざかる。ぎりぎりこれでもいいんじゃないでしょうか、という意見はあるだろうけれど、結果として上げた効果は、相当にファナティックだねえ、という印象をあたえたことだろう。戦後の国際社会で、これほどにファナティックなスピーチは珍しいのではないか。

表面的には英語が下手なことによる悲劇にも見えるけど、問題の根は決してそんな浅いところにはない。

先見日記 insight diaries:空疎な言葉の人とは
ただ単に口先だけの言葉がある場合を、空疎な言葉と呼ぶ。正確で深く、範囲の広い知識などまるでない、だから自前で考えることが出来ない。したがって方針や信念、作戦などには、いつまでたっても到達することが出来ない。そのことの当然の結果として、有効な行動をとろうにも、きわめて稚拙にしか動けない。だから実体はなにひとつ蓄積されていかない。空疎な言葉の人は、じつはこういう人なのだ。恐ろしいではないか。

先見日記 insight diaries:大統領と親しい人
首相のなかに小泉さんという私人は充分にいるけれど、公人としての首相はほぼ完全に欠落している。いまの日本にとって、公人としての首相というどこまでもパブリックな存在が担って果たすべき機能は、ごく簡単に言って、透徹した歴史観の上に立ち、日本が直面するさまざまな問題を正しく判断し、その判断にもとづいて、迅速に徹底して実行に移す、というような機能だ。ここに私人や個人が入り込む余裕はどこにもないはずだ。

多難きわまりない時代の首相が、この機能を欠いている。その当然の結果として、首相が下す判断は、状況の推移を見ながら、どうしてもはずせない部分を、消去法で採っていくという判断になる。アメリカとの関係では、それは「日米同盟のさらなる強化と発展」であり、ではそれはなにの上に立つのかというと、親しいブッシュさんとの友情という、現実にはほとんど存在しない、私人の個人的な気持ちの上でしかない。そしてこの事実をまったく意に介さない人たちが、50パーセントを超える支持率(ごく最近のNHKによる調査 引用者註 2004年11月)を作り出している。

小泉首相自身の人柄や周囲にいる人々については、物言えば唇寒し「小泉郵政民営化 その2:小泉首相周辺の人物、その政治手法とメディア」が興味深かったです。

その続きの「小泉郵政民営化 その3:早急な民営化を望んでいる者達」は、さらに読むべきと思います。結局のところ、現政権の進めるネオリベラリズム路線はアメリカの望むものでしかなく、本当にこの国の将来を考えているとは (今までの首相の発言・行動を考えても) とても思えません。

Posted: 土 - 9月 10, 2005 at 02:41 AM               Hatena Bookmark



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