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イラク邦人拘束に思う


民間軍事会社 (警備会社という言い方は事実のすり替えです) 所属で、十分危険も承知の上、イラクに赴いていたということで今のところ特に非難の声等はないようですが、家族のコメントを聞いたりすると、家族にそのようにしゃべらせる無言の圧力があるように思います。

Mainichi INTERACTIVE:邦人拘束:「どんな使命感が…」斎藤さんの弟が会見
イラク政策を変えることなく、揺らぐこともなく、兄の件とは別に主体的に(自衛隊が)イラクにいるべきかどうかを考えてほしい。

拘束された斎藤さんの弟さんの発言ですが、わざわざこのような発言をしなければいけないところに、日本の病理を感じます。やはり、高遠さんらの拉致事件のときに加増に対応に対するバッシングを考えると、こんな発言をせざるを得ないのでしょう。

ところで、斎藤さんの経歴に付いて、「陸上自衛隊で『最強』といわれる習志野の第1空挺団での勤務歴を持つ」というようなことが報道されていますが、それはちょっとおかしいのではないかということを、軍事アナリスト神浦元彰氏が指摘しています。
それから第1空挺部隊に転属し、約5ヶ月間ほど空挺隊員として勤務した。その後、入隊から2年間(1任期)で自衛隊を除隊している。だから5ヶ月間の空挺団では基礎的な降下訓練しか受けていないのだ。

(中略)

それではなぜ斎藤さんは精鋭といわれる第1空挺団を辞めてフランス外人部隊に入ったのか。ここからは私の推測だが、斎藤さんの経歴から読めるのは「第1空挺団に失望した」からではないかと思う。
北海道の美幌で陸自最強といわれる第1空挺団の入隊を目指して誠心誠意頑張ったはずだ。そして厳しい空挺団の入隊審査に合格し、晴れて入隊することが出来た。しかし自分が思い描いてきた空挺団と違っていたのではないか。斎藤さんが想像した空挺団とは、まさにフランス外人部隊のように戦争のプロを目指した集団と思ったと感じた。しかし現実の空挺団は訓練のための部隊で、実際に戦争をするような戦闘集団ではなかった。恒例の演習では決められた場所に穴を掘り、演習期間が過ぎれば部隊に帰るサラリーマン公務員でしかなかった。

この指摘は極めて的を得ているように思います。


イラクで拘束された末に殺害されてしまった香田さんは無謀だと非難されましたが、果たして危険を十分承知して行ったから許されて、そうでなかったから非難されるようなものなのでしょうか。起こった出来事だけに即物的に反応しているのでは、事の本質を見ていないように思います。

香田証生さんの死に思う


本題とは関係ありませんが、下記サイトにはいまでも香田さんの死に対してずっと声が寄せられています。

香田証生さんを偲ぶメッセージ集

Posted: 金 - 5月 13, 2005 at 02:33 AM               Hatena Bookmark



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